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確率論で取引する

確率論で取引する
重要なところに気が付きましたね。未来のことは、確率的にしか予測ができないことで満ちています。サイコロの出る目は振るたびに異なり、『次は3が出る』と予測できないのと同じです。未来を予測しようとすると、どうしても確率的な考え方が必要になります

【島根原子力発電所2号機 確率論的リスク評価(内部事象および外部事象)における指摘事項の回答】
これまでの審査会合での,内部事象PRAにおける指摘事項(第125回審査会合(2014.7.確率論で取引する 確率論で取引する 22))および外部事象PRAにおける指摘事項(第142回審査会合(2014.9.30))について回答しました。
原子力規制委員会からは,万が一想定を超える津波が襲来した際に炉心が損傷する確率等を計算するにあたり,保守的に防波壁連絡通路の扉を開放状態で評価していることの適切性などについてコメントがありました。
今後,審査等の中で説明を行ってまいります。

2015年7月2日(木)新規制基準適合性に係る審査(57回目)(第245回審査会合)

【島根原子力発電所2号機 確率論的リスク評価(内部事象)における指摘事項の回答(その2)】
前回の審査会合(第244回審査会合(2015.6.30))に引き続き,内部事象PRAにおける指摘事項(第125回審査会合(2014.7.22))について回答しました。

2015年6月30日(火)新規制基準適合性に係る審査(56回目)(第244回審査会合)

【島根原子力発電所2号機 確率論的リスク評価(内部事象)における指摘事項の回答(その1)】
前回の審査会合(第125回審査会合(2014.7.22))における原子力規制委員会からのコメントを踏まえ,内部事象PRAの評価条件等を一部見直しました。それに基づき重大事故に至る確率について再評価し,大きな変更はないことを説明しました。
原子力規制委員会から,資料の記載を充実するようコメントがありました。
引き続き,これまでの審査会合における原子力規制委員会からのコメントへの回答を行ってまいります。

2014年9月30日(火)新規制基準適合性に係る審査(14回目)(第142回審査会合)

【島根原子力発電所2号機 確率論的リスク評価(PRA)について(外部事象)】
今回の審査会合では,地震・津波といったプラント外部の原因によって起こる事象を対象とした外部事象PRAについてご説明しました。
原子力規制委員会から,評価の前提条件や内容などについて詳細に説明するようコメントがありました。
今後,審査の中で説明を行ってまいります。

2014年7月22日(火)新規制基準適合性に係る審査(9回目)(第125回審査会合)

【島根原子力発電所2号機 確率論的リスク評価(PRA) ※ について(内部事象)】
新規制基準では,福島第一原子力発電所事故等を踏まえた重大事故等対策を実施する前の仮想的なプラント状態において,炉心が損傷し重大事故に至る確率を評価するPRAを実施すること,および,その結果を踏まえた重大事故等対策の有効性を評価することが求められています。
7月22日の審査会合においては,機器故障や人的要因等,プラント内部の原因によって引き起こされる事象を対象とした内部事象PRAについてご説明しました。
原子力規制委員会からは,審査資料の非公開箇所(機密に係る事項を含む)の理由および妥当性について再度整理すること,当社が検討した評価内容と外部に委託した範囲等について説明するようコメントがありました。
今後,審査の中で説明を行ってまいります。

※確率論的リスク評価(PRA):
重大事故に至る確率の評価にあたっては,PRA(Probabilistic Risk Assessment)という手法を用いています。これは原子力発電所で発生する可能性のある異常事象を想定し,事象がどのように進展していくかを安全装置の故障確率などから計算することで,炉心や放射性物質を閉じ込める原子炉格納容器の損傷頻度等を評価する手法です。

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お金にまつわるお悩みなら教えて! お金の先生

ファッションは好きですかね?
好きでなくとも今年の流行というのはマスコミとかで聞いたことはありませんか?
流行ってどうやって起きていると思っていますか?
あれは流行を起こす前に2年前から構想を考えて戦略的に広告宣伝を行って2年後に売るんですよ
モデルとかがファッションショーとかやっていますが基本あれは半年先に販売する服です
つまり、夏に冬服をきて、冬に夏服を着るのがモデルの仕事
こういう細かく心理学的に正しい戦略のもと流行は起きます

それでは他の分野は絶対に起きないのですか?
オプジーボという薬がノーベル賞を取りましたが、その論文は何年も前に発表されています
もちろん、医薬品が発売される前ですよね?
つまり、どんな分野でも下積みの研究や戦略、デザイン、開発は行われているのです

そうなると、会社が取った戦略によって株価が影響するのは当然の結末
もしあなたが言う通り株が運や勘ならば経営者はなんのためにいて、なぜあれだけ高給取りなのかちょっと説明してみてくださいよ

投資を確率論という奴は勉強不足

魚釣りや漁と一緒

天候(地合)、季節(時期)、潮(トレンド)、仕掛け(トレード手法)等々・・

その時に合わせてやればプラスになる。年月を重ねるごとに言葉では説明できない釣り師の勘が冴えてくる。


何も知らないで海に船を出したら釣れるか釣れないかは「運」のみ。

20世紀の中盤ごろまで、いわゆる金融市場はまともな市場とは見なされていなかった。

つまり、君同じ見方のただのカジノだというわけで、株価の動きには経済学の理論が当てはまる余地はほぼないと考えられていたのだ。

確率論で取引する
だがしかし、ファイナンス理論の祖の1人であるハリー・マーコウィッツは1952年シカゴ大学博士論文のテーマに株式を選び、株価の動きは、ルーレットやサイコロのように、確率論的にランダムに決まると結論づけたことは誰もが知る史実だ。

株が上がる確率と下がる確率はまったく同じだと考えは、サイコロが10回連続で1の目になったとしても、11回目に1が出る確率は高くも低くもならないことと同じように、株価の将来の動きも、過去の動きには一切影響を受けずランダムに推移する。

このでたらめな動きこそ、Random Walk(ランダムウォーク)と呼ばれる。日本語では酔歩と訳され、酔っ払いがどこに行くかの予想がつかない状態と同じとされる。

この背景には、19世紀のイギリスの植物学者Robert Brown(ロバート・ブラウン)が提唱したブラウン運動があることを知る者は少ない。

この運動の正体は、媒質の熱運動による物理学的事象にあることをアインシュタインが発見したのだが、ハリー・マーコウィッツは株価の動きもこのブラウン運動と似たようなものではないかと考えたのだ。

株価のリスクを標準偏差として表現するという発想は、それほど古くからある考え方ではなく、ファイナンス理論はその経済学の中でも最若手の分野だと言える。

株取引もギャンブルも確率論であることには変わりない

株取引のほうが、運や勘が重要

他人が気づいていないことに気づくことが重要だから

お金にまつわるお悩みなら教えて! お金の先生

FXは確率論で考えないといけないのですよね? それでいて、 FXはギャンブルではないって意見は正しいのですか?

FXは確率論で考えないといけないのですよね?
それでいて、
FXはギャンブルではないって意見は正しいのですか?

ベストアンサーに選ばれた回答

そう、矛盾を抱えながら根拠も無くFXはギャンブルで無いと書く

妄言、虚言しか書かない

それがFXはギャンブルではないって言う人たちです

今までにまともな根拠を書いた人を知らない

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その他の回答

FXは金融商品取引法に規定された「合法賭博」です。
業者は法律に従い取引を行い、「契約締結前交付書面」で「相対取引、差金決済、会員向けのレートは業者が独自に作成、金融商品取引法第二条22に基づく取引」と、説明責任を果たしている。これらの説明が不十分だと、金融商品取引法第三十七条の三及び第四十条の二に反するので、業者はちゃんと説明しているはずです。
●FXを規定している法律 金融商品取引法第二条 22 この法律において「店頭デリバティブ取引」とは、金融商品市場及び外国金融商品市場によらないで行う次に掲げる取引をいう。
一 売買の当事者が将来の一定の時期において金融商品及びその対価の授受を約する売買であつて、当該売買の目的となつている金融商品の売戻し又は買戻しその他政令で定める行為をしたときは差金の授受によつて決済することができる取引 。
●株とFXとの違い。
○株は取引所取引、直物取引、受渡決済、仲介取引、価格は取引所での価格なのでどの業者も同じ価格。原商品(株)の売買が基本。個人投資家でも少しは株の相場に影響を与えることもあるかも知れない。証券会社は取引手数料収入。投資家同士のゼロサムゲームと言われるが、平均株価が上がっている時は多くの投資家が儲かる。
○FXは店頭取引、デリバティブ取引、差金決済、相対取引、会員向けのレートは業者が独自に作成していて、個別の会員に違った価格が配信されることもある。原商品(為替)の売買ではなく外国為替(米ドルなど)が上がるか下がるかの当てっこゲーム、競馬・競輪で馬券や車券を買うようなこと。オッズがどうであってもレースの結果に影響を与えることはない。会員の損した分が業者の売上げの総て。トータルで見れば会員は赤字、なので資産形成・金儲けの手段にはならない。
●ところでこのような数字が見つかりました。
2015年第2四半期、FX口座総数 5,911,659口座、実働口座756,975。
http://www.forexpress.com/data/total_account.html
これから分かること、休眠口座5,154,684(全口座の87.2%)、実働口座は儲かっている人と、損しているが儲けようと努力している人。
休眠口座は損した人。儲かっていて休眠口座にするはずがない。イヤになって解約した口座数は不明。
この数字から「FX、9割の投資家が負けている」との噂は正解。
FXは資産形成の手段にはなりません。ギャンブルと考えるのが正解でしょう。
法律と業者の取説(契約締結前交付書面)はこちらをどうぞ。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/fx-4.html

下の方。今までにまともな根拠を書いた人を知らない
と言いますが、どこの誰かもわからないネットの人達に、勝ってるトレーダーがまともな根拠を書くメリットがないからです。

なぜこんなところで手法を暴露しなければいけないんですか。そんなことする人は相当馬鹿です。てか勝てる人にそんなバカはいません。

下の方はバックテストというものを知らない素人とみました。もしくはそこまで努力してない方でしょうね。

FXは基本ランダムで動いていますが、ある特定の条件の時だけ偏りがあります。

時間足やインジ、時間帯やボラティリティなど、組み合わせを考えれば莫大な検証が必要です。

その偏りに気付けるまでに、毎日毎日それだけに集中し、地獄をみながら死ぬ気でもがいて見つけることができるのに3年もしくはそれ以上かかります。僕もそうやって気付くことができましたので自信を持って言えます。

FXは投資です。ほとんどの人がそこにたどり着くまでに退場するので、ギャンブルになるんですよ。諦めなければ見えてくるのに。

もう一度いいますが、FXはギャンブルではありません。投資です。

確率論的思考

何が確かなことで、何が起こりそうなことなのか。
では、そのなかで「偶然」や「たまたま」は
どこらへんに出入りしているのか。
しかし、不確実なこととリスクの対象とすべきことは、
おそらく別々のことであるはずだ。
そのことを知る手立てに、確率がある。
それなら確率で、何がわかるのか。
たんにリスクを回避するためなのか。
いや、投機の気分を和らげることであるはずだ。
自分入りのバイアスに気がつくことてあるはずだ。
本書は確率に向かう人間の気分が、
できれば蓋然的思考になるべきことを訴える。

確率という言葉は、英語の“probability”を、明治41年に東北帝国大学の林鶴一が訳した日本語だ。うまい訳だとは思うけれど、この意味をちゃんと受け取るのは容易ではない。プロバビリティの意味が、古代ローマのキケロの時代のプロバビリスこのかた、いろいろ広がってきたからだ。
ラテン語のプロバビリスは、確かなことを求めて「検証する、立証する、証明する」という意味だった。そこからいろいろな意味が混成されてきた。たとえば、疑いないこと(sureness)、信頼できること(reliability)、確実なこと(certainty)、可能性があること(possibility)、ありそうなこと・もっともらしさ(likelihood)といった意味あいが、つまりはヨーロピアン・ロジックが好きそうな概念が、だんだん含まれるようになった。
確率的な言葉にこれだけの意味あいがあるにもかかわらず、こうしたことすべてを、確率論ではまだ扱えてはいない。それをしようとすれば、そこには哲学や思想もかかわってくるし、自然科学とりわけ量子力学以降の物理学や遺伝子工学以降の生物学もかかわる。とくに認知科学は欠かせない。確率論もニューステージに向かう。
それなのに、確率を儲けの武器やリスクの回避だけに応用するのは、無理がある。確率は「確実なこと」を決めるためのものというより、「不確かなこと」を確実だと見誤らないためのものであるからだ。

われわれは不確実な社会のなかで暮らしている。あした事故に遇うかもしれないし、誰かから恋心を告白されるかもしれないし、次の一冊の読書が人生を変えるかもしれない。2010年の為替相場も、ドバイの経済動向も、日本の百貨店業界が景気を取り戻すかどうかも、ぼくの新刊本がどのくらい売れるかも不確実だ。
これらをまとめて不確実性(uncertainty)というのだが、ここにもいっぱいの同義語や類義語が入り交じっている。「不確か、不確定、定かではない、はっきりしない」などは当然だとして、「曖昧、不鮮明、疑わしい、信憑性に欠ける」、あげくは「どっちつかず、中途半端、ぼけている、漠然」なんてものも入ってくる。
不確実性はわかりにくいわけではない。「わかる」は「分ける・分かる・解る・判る」であって、これこれは不確実なことだろうというふうに情報や現象を「わける」によって「わかる」にしているのだから、不確実なことがわからないわけではなく、そのように「わかる確実」と「わかる不確実」を分けたのだ。
それなら不確実性の性質を「起こりやすさ」から見ればどうなのか。つまり確率的に不確実なことを見るとどうなるか。そういう見方に変えてみると、不確実性とは「起こりやすさ」の予測ができないことで、当該の不確かな情報の制御ができないことを意味することになる。
しかしあらためてよくよく考えてみると、こういう確率が生ずるのは自分が“そこ”確率論で取引する にかかわろうとしたためなのだ。だからこそ予測ができなかったり、制御ができなかったりしたわけだ。放ったらかしにしておけば、なんであれ事態と自分の関係は「あるがまま」である。ところがおかしなことに、そこにかかわろうとして、その予想のなかの主人公になったとたんに“そこ”が確実か不確実かに分かれていく。

どんな不確実なことにも、まったく予測のつかないこともあれば、多少は予測の範囲が見通せることもある。ぼくの死亡日はまったく予測がつかないが、ぼくが来年どんな本を書くかは予測の範囲がそこそこ見通せる。
フランク・ナイトは前者を広義に扱って「不確実性」と呼び、後者を狭義に扱って「リスク」と呼んだ。リスクは予測の範囲が確率で示せるものをいう。ナイトの定義でいけば、確率の対象となる情報はすべてリスクなのである。つまりリスクは不確実性から突起したものなのだ。
ぼくが来年に書く本はさまざまな度合いのリスクを含んでいて、ぼくが死ぬだろうということは確実な不確実なのである。リスクを確率的に予測し、リスク・マネジメントをしようとしたとたん、不確実性と確率とのあいだの不安と野望に、われわれはたちまち立ち会わされる。
こういうことは、当事者にならなければわかりにくいことだ。ぼくは株の投資を一度もやったことがないし、金融関係の企画にかかわったこともないが、たとえば何かの仕事をしようとする場合、その意思決定者が自分であるとき、その仕事の不確実性と「確からしさ」の狭間に不安か自信かのどちらかを強くもちすぎた瞬間、余計なリスクのことを過剰に感じたり、過小にとらえすぎたりすることを、これまで何度も実感してきた。それが確率論にかかわっているとは、正直いって実感できていなかった。
でも、最近は不確実すぎる社会がひたひた身に寄せてきて、それはそれで徒然草っぽくてけっこうじゃないかと思っていたのだが、そのうち、自分が過剰になるか過小になるかということと、さまざまなオプション選択に悩む日本の姿とがだぶってくると、これは確率論的哲学もけっこう必要なんだろうと思えてきたのである。

著者の推奨する確率論的思考は「ものごとはできるかぎり長期的に見たほうがいい」ということにある。
これはいいかえれば、不確実な世界のなかでは確実なことは急速には何も求められないということだ。そこにあるものは、かつてこの言葉をロバート・ルービンが使ったのだが、確率的にものごとを考えるのにふさわしいのは「蓋然的思考」(probabilistic thinking)だけなのである。ルービンはゴールドマン・サックスのトップに上り詰めたトレーダーで、その後は財務長官として辣腕をふるった男である。
著者のいう確率論的思考も、この蓋然的思考の範囲のなかにある。ルービンとは違って、もっと柔らかい。それは、この著者がリスクに満ちた市場で仕事をしていながらも、リスクの回避は長期的な流れのなかでしか贖えないという見方をしているからだ。
仏教的だとは言わない。達観でもない。本書にはそんなことを感じさせる文脈や引例は一言もない。けれども、最近の金融関係者も少しはこういう柔らかい発想をするようになったのかと思うと、昨今のリーマン・ショックや囂々たるネオリベ批判(ネオリベラリズム批判・新自由主義批判)のせいもあるだろうが、ややホッとする。
まあ、それはそれとして、なぜ確率論を使っても蓋然的になったほうがいいか、少し考えてみたい。

株価が上がるかどうかは、それをどう予想したかによって当たりぐあいが大幅に異なってくる。予想をしなければ、確率は生じない。
たとえば「この銘柄の株価は上がるだろう」というような宣言なら、いつか上がったときに、ほれほれ当たっただろと言えばいいのだから、それですむ。問題は時期を限って数値を予想するときで、「1ヵ月後に株価は上がる」という予想なら50パーセント程度の確率で当たるわけだが、「3ヵ月後に7パーセント上がる」となると、まず当たらない。そんなことができるトレーダーや経済学者は世の中には一人もいない。当たるときはただ「まぐれ」なのである。
ところが、任意に選んだ10社の銘柄が今後10年間にどんな株価を示すのかといったことになると、確率はかなり雄弁な回答を用意する。実は最近のトレーダーやファンドマネージャーたちは、こちらのほうのことだけを確信しているにすぎない。
なぜ特定の短期予測は不可能で、多様な動向を長期的にみることにはある程度の確信がもてるのだろうか。それなのに金融機関は世間に投資予測をまきちらして、短期の投資者を惑わせるのだろうか。
こういうトレーダーたちの事情を知って、そいつはずるいじゃないかと思うか、そもそも確率的予測とはそういうものだと思うかが、統計的な見方や確率的な見方をするときの分かれ目になる。ぼくはマッドマネー資本主義にも一様な民営主義にも黄昏が訪れているのなら、後者のほうの見方をする金融関係者がもっとふえてこなければいかんだろうと思う。
つまりは、確率論的思考とは、この分かれ目にフナドの神(分岐や三叉路の神)のいたずらが感じられるようになることなのである。それにはしかし、確率の愉快と不快の両方を実感できたほうがいいはずだ。

確率とは、ある事象がおこりうる「確からしさ」をあらわそうとしたときの数値表現のことである。
数学的確率は数学的な対称性を基本においている。どのように確率論を使うかというと、いくつかのモデルの選択がある。大きくみると、数学的確率、頻度主義、主観的確率、論理的確率の四種類がある。
確率論の本には必ずうるさいほどサイコロやコインやカードの例が出てくるが、これは「サイコロで3の目が出る確率は1/6である」というやつで、ここではサイコロが立方体という六面の対称性があることを念頭においている。コインやカードは2面の対称性である。
このようなときの「起こりやすさ」や「確からしさ」は、数学的に「場合の多さ」(場合の数)として表示され、出来事の場合の数が全体の何パーセントに当たっているかだけをあらわす。それゆえ数学的確率は、確率をはなはだ理想的で抽象的なものにして、人間のイデアの中に確率を鎮座させてきたとみなされても仕方がない。
2つめの頻度主義による確率モデルは、統計データから確率を導きだす。注目している出来事がどのようにその現象のなかでおこっているかをデータとして引き出して、その出来事の頻度が占める割合を算出し、それを確率とする。ここでは「起こりやすさ」はデータの観測頻度なのである。このような頻度主義型の確率は、物理学や生物学のように実験をくりかえせるような例では、そうとう雄弁になる。洗濯機やジェットエンジンの故障は、この実験的確率によって減少させる。
主観的確率は、文字通り、人間がそこにかかわったことによって生じる確率を計算しようとするものだ。端的にいえば、出来事の「起こりやすさ」や「確からしさ」そのものを確率の対象にするのではなく、そのことを“どう思っているか”を確率モデルに入れる。
これをベイズ主義ともいうのだが、この確率論の長所と短所は「いいかげん」なところにある。主観的確率は「思いこみ」入りなのだから、客観的に正しい予測ではない。正しいかどうかということを、不確実な現象のなかで言明することも、またたいそう曖昧なものなのだ。「いいかげん」は「良い加減」でもあって、また「いい加減」でもある。主観的確率は加減三昧だった。
4つめの論理的確率は、AならばBであるというような論理学的な推論のうえに成り立たせようとする確率で、おおかたの論理哲学や、とりわけコンピュータのアルゴリズムにはうってつけである。とくに説明するまでもないだろう。

ベイズ主義について一言加える。
さきほども書いたように、主観的確率のモデルのプロトタイプは「ベイズの定理」にもとづいている。18世紀の牧師で数学者でもあったトマス・ベイズによるものだ。
これは、ある出来事の動向を前にして、その動向についての仮説の妥当性に対する事前確率(prior probability)と、その仮説のもとで得られる情報データによる条件付き確率(conditional probability)とから、ある結果が出たばあいに、元の仮説で得た情報データとの正しさぐあいとしての事後確率(posterior probability)を求めるための定理で、数学的にはべつだん難しくはない。
ただし、ベイズの定理に入っている条件付き確率には、ちょっと注意を要する。条件付き確率は、いま予測しようとしている現象に対しての仮説がどのくらいありそうな「もっともらしさ」をもっているのかという、いわば「尤度」(likelihood)なのである。この「らしさ」の判定は人間の感じ方でしか出てこない。それにもかかわらず、ベイズの定理はこの条件を確率計算のなかに組みこんだ。

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ベイズ理論による主観的心理的な推定のプロセス
製品ABを1回使用した場合の故障確率を求める
左:製品ABが次の1回の使用で故障する確率が五分五分であると仮定(事前確率)
中央:製品Aは5回に1回(0.2)、Bは10回に1回(0.1)故障すると仮定(条件的確率)
右:面積費から、Aは2/3、Bは1/3の確率で故障すると推定(事後確率)

ここに確率論の愉快と不快とが交じるのである。とくに確率的予想に立ち会おうとする者たちをして、その多くを尤度というバイアスで悩ませることになる。
悩ましさを逆手にとることも可能だ。実はベイズの定理は長いあいだそれほど重視されていなかったのだが、それが10年ほど前だったか、21世紀を迎えたときにビル・ゲイツが、「これからのマイクロソフト社の戦力はすべてベイズ・テクノロジーである」と明言したことから一挙に再注目を浴びるようになった。実際にもその前後から、ほとんどのスパム・メールの選別や、マイクロソフト社の文脈依存型検索エンジンや自然言語構文解析、グーグル社やオートノミー社のフィルタリングなどには、すべてベイズ・テクノロジーが応用された。
しかし、ベイズ主義をどのように評価するかは、むしろ今後の問題である。ぼくはすでに指摘してきたように、ベイズ・テクノロジーの過信にはまたぞろ社会的なブラック・スワンを出現させかねない暗部が潜伏しているだろうと思っている。マイクロソフトもグーグルも、あまりにリスク回避的なのである。
だから、それを多少は打破するためには、フラクタル型の確率モデルや、カオス型の思考方法や、さまざまな社会経済学的な思考方法の可能性もありうるだろうと思っている。ニクラス・ルーマンのシステム論やリバタリアニズム(自由至上主義)の思想にもヒントがあろう。

話を株価に戻す。
株価の確率はランダムウォーク・モデルのなかで説明されてきた。これは、株価の動きはすべて偶然の積み重ねによっているのだが、そこに、①市場が整備され、②経済指標(ファンダメンタルズ)や企業の情報開示が加わり、③市場参加者の合理的な参入があるのなら、市場はランダム・ウォークに近い姿をとるというモデルだった。
ランダム・ウォークは、花粉粒子が水の中の水分子とぶつかって見せるブラウン運動とほぼ同じランダムな動きをすることをいう。株価の例でいえば、手元に入る情報が現在の株価に織りこまれているとすれば、今後の株価を動かすのは新しい情報だけだから、それが水分子となって花粉粒子としての株価をランダム・ウォークさせると見る。
しかしこれは、株価が上がるか下がるかではなくて、その変動の記録のすべてはランダム・ウォークをしたのちに、たいてい正規分布に近付いていくという、ただそれだけのモデルである。
だからランダムウォーク・モデルで短期の予想をすることは、ほとんどできない。けれども、ある程度の期間をとると、どんな変動でも正規分布に近くなる(ことが多い)。
こういうモデルは理想的な市場の条件を想定することで成り立っている。市場は理想的であるはずがないので、金融市場の関係者たちは、ランダムウォーク・モデルがあてはまるように市場をたくみに陽動してきたわけである。それが過剰過多となって、結局はサブプライム・ローンの破綻問題などともなったのだが、それにもかかわらず、実際のトレーダーやファンドマネージャーの10年間ほどの成績は、平均をとるとおおむね正規分布にそっているという意外な事実もあって、不確実な現象に向けて何かを予測するには、結局、このモデルに落ち着くということが多くなってきたのだった。
とはいえこのモデルを容認しきるのは危険だ。ここにもフラクタル型やカオス型の、あるいは経済物理学的な変更が加わる必要がある。

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偶然をどのように哲学するかということは、イアン・ハッキングや木田元の千夜千冊でもその一端を書いておいたが、偶然を確率論とぶつけてみるといい。そう言っていいなら、そこには「見せかけの偶然」と「本当の偶然」があるからだ。
「見せかけの偶然」は、駅で10年ぶりの同級生にばったり会ったとか、天気予報も聞かないでなんとなく傘をもって出掛けたら雨が降ってきたとかといったことで、もしすべての情報を知り、すべてを計算できるなら、この偶然は「たまたま」ではなくて、たまたまに見えるだけだということになる。ここからは、確率とはたんに情報が不足している状態にのみ発生する一時的な概念だという考え方が生まれる。
「本当の偶然」のほうは、たとえすべての状態を知り、すべての計算ができたとしても(つまり「ラプラスの魔」がいたとしても)、予測も制御もできない現象や事象のことをいう。このばあいは、その「たまたま」は客観的な確率だということで、つまらないネーミングだが統計学や確率論では「客観確率」などともいう。
ということは「主観的確率」もあるわけで、それがさきほどのベイズの定理から発していたわけである。だから当然、ここには主観的なバイアスがかかっている。そういうバイアス入りの確率なのである。たとえば新発売の商品がヒットする確率などは、多くの者が経験や知識や情報にもとづいて予測をするもので、決して厳密なものではないけれども、そのようなヒットの予測が多かったということは、結局は確率の値に反映されてもいく。こういう場合は、関与者たちの期待値をこめたバイアスが確率の中に入りまじっているわけだ。

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本書にはいくつかのバイアスが紹介されている。そこにはいろいろな過誤が含まれる。
バイアスで大きな影響力をもつとされているのは「認知バイアス」である。ランダムウォーク・モデルは人々の行動が合理的であることを前提にしているけれど、そんなことはむろんありえない。すべてに認知バイアスがかかっている。投資家のジョージ・ソロスはカール・ポパーにヒントを得て、それを「フレクシビリティ」として勘定に入れたわけだった。
不確実性や偶然を相手にしすぎると、バイアスの中に自分が関与していることを忘れるだけではなく、そのうち気がつかないままに自己言及的な過誤を犯していることも少なくない。たとえばコイン投げのオモテが出る確率は50パーセントであるはずなのに、続けてウラが7回も続けば、次にオモテが出るだろうと思いたくなるし、株価が連続して下がると、そろそろ上がるだろうとも思いたい。これは「ギャンブラーの誤謬」というもので、確率の解釈を自分で変更してしまっている。
ここには自分が関与したんだからきっといいことがおこるだろうという、いわば「自己関与の幻想」という過誤もある。自分が詳しいつもりの会社の株価は欲目で見るものだし、自分が親しい相手との仕事はうまくいくと思うものなのだ。しかし、これはあやしい。 確率論で取引する
なぜ、こういうふうになるかといえば、当事者の注意のカーソルが動かなくなるからだ。止まってしまうか、ゆらゆらする。これがいろいろのことをおこす。
たとえば、めったにおこりそうもない発生の度合いの稀な現象のニュースのほうが、多くの人々に過大な注目をおこさせる。地震や同時テロや有名タレントの緊急逮捕などは、めったに起こらなくともどこかですぐにおこりそうな気がするし、もっと希有な現象でも、それがさかんにホラー映画やパニック映画のプロットとして頻繁にとりあげられているように、発生度が濃く見えて、ついつい勝手な確率解釈になっていく。
これは「フレーミング効果」といわれるもので、注意のカーソルがシステムの内外を自在に動いていない。これでは問題のトータルな掴まえ方を失っていく。

本書の著者によると、多くの投資家は自分ではそこそこうまくやっていると思いこんでいるらしい。また、自動車の運転感覚についてヒアリングをしてみると、たいていのドライバーは自分の運転技術を平均以上だと感じているともいう。
これは「自己奉仕バイアス」である。ぼくはべつだんそういうことがあってもいっこうにいいと思っているのだが、これが投資や勧誘やキャンペーンのなかで強調されすぎると、けっこうヤバイことにもなっていく。
企業の株価は、一株あたりの利益(純利益÷発行済株式数)の何倍になっているかで数値化される。これがPER(株価収益率)とよばれる指標で、成長率の高い企業ではPERが高い。
ある企業が成長力を市場で認められて、PER30倍前後で取引されているとする。そのうち成長率が鈍化した。ところが、いったんPER30倍で取引されるようになった株価は、かんたんには変わらない。何年もたって鈍化や低迷が周知の事実になったころ、PERが下がり始め、さらにその倍率が妥当ではないことが明々白々になると、突然に株価が大きく変動する。
こういうものは「アンカーリング」というバイアスの一種で、いったん錨を投げて船を係留すると、そのアンカーの位置の値がしばらくじっとしてしまうという現象だ。投資市場ではしょっちゅう、株価の値をめぐってこのズレがおこっているという。ここには「自己正当化」がおこり、かつ、ある程度の進捗があったのちに心理学で「社会的証明」と名付けられている“横並び行動”に突然に移るということがおこっていく。
こうして、これらがしだいに大同集約されたとき、投資市場における「ハーディング」(群衆化)になっていく。こうなると暴落がおこり、恐慌になりかねない。その逆になったとしても、それはバブルとなって、やっぱり空しくはじけてしまう。
よくよく感ビジネスしたうえで、確率を相手にするべきなのだ。確率でわかることは少ないという警戒をするとともに、しかし長い目で見れば、確率的思考が社会の振幅をつくっていって、かまわないのである。
こういう見方には金融トレーダーとして著者の譲れないところも随所に見えているのだが、それでもリスクについての悉無律(オンかオフかを決めるだけの規則)に偏っていく社会動向が過剰になってしまった昨今では、このような見方をする金融関係者はもっともっとふえていくべきである。

TANQ「?」があるなら実験だ-立命館大学理系スペシャルサイト

2018.02.27

数学って、どこで役に立つの?「コイン投げ」と「株価予測」の意外な関係

数学って、勉強しても結局のところどこで役立つんだろう…? そんな疑問を持ったことがある人は、きっと一人や二人じゃないはず。あーあ、勉強でお金が稼げるんだったら、もっと頑張るのになぁ。そんな時、「数学を使って、株価の動きを予測できる」という噂を耳にしました。これを勉強すれば、もしかしてお金持ちになれかもしれない…! 早速、噂の真相を確かめるため、理工学部理工学研究科の研究室を訪ねました。

え、株価のシミュレーションのことですか?

それは確かに研究しています

お、お金儲け? 確率論で取引する ほほー。面白いことを言いますね。ひとまずご説明いたしましょう。まずは大学院生の畑くんに、簡単な例から説明してもらいましょう。畑くん、例のコイン投げの話から、お願いします はい、わかりました! まずは次のようなコイン投げゲームを考えてください

▲コイン投げゲームを例に解説をする理工学研究科の畑さん

表、裏が出る確率はそれぞれ2分の1として、そのゲームを自動的に行うコンピュータプログラムを作ります。1ゲーム終わった時の結果がこのグラフです。

▲横軸は投げた回数、縦軸はAくんの所持金。スタートは0円で一回コインを投げるごとに表が出たら1円増えて、裏が出たら1円減っている

これは、表が5回、裏が5回出た結果、所持金は0円になったことを表しています

その通りです。4ゲーム行い、それぞれで得たグラフを重ねて表示したものが次のグラフになります。コインの表、裏が出る確率はそれぞれ1/2なので、グラフは概ね上下均等に動いていますね

▲4回のゲームで得た青、橙、緑、赤の折れ線を重ねて表示

では次に、細工が施されて裏が出やすいコインを使ってゲームをします。表が出る確率は1/4、裏が出る確率は3/4。さっきと同じく、1ゲームだけの結果と、4ゲームの結果を重ねたのが次の2つのグラフです。当然ですが、裏が出やすいため、結果がマイナス側に偏っているのがわかるでしょう

おわかりいただけましたでしょうか

いや、じつは基本的には同じなんです

そうなんです。株価は毎日上下しますね。日々上がるか下がるかを繰り返して、価格が変わっていくのは、表が出るか裏が出るかを繰り返して所持金が変わるコイン投げと同じでしょう。また、コインの性質によって、表裏ともに出る確率が1/2か、1/4と3/4なのかが決まるように、社会の様々な要因によって、株価が上がりやすいか下がりやすいかが決まるのも同じです

でしょう? そこでひとまず、株価が具体的にどんな要因で変動するかはおいといて、株価が上下する様子をシミュレーションして見てみましょう。

スタート時は100円として、365日後にどうなったか。その計算をコイン投げ同様にコンピュータで4回行い、結果を重ねて得たのが次のグラフです

▲縦軸は株価、横軸は日数。コイン投げ同様に、各色の折れ線が1回の計算結果を表します

そうですね。さらに、このグラフから何がわかるかといえば、4回の結果のうち、1年後に100円より大きくなっているのが2回(青とオレンジ)、小さくなっているのが2回(赤と緑)あるのがわかります。つまり、「1年後に損をするリスクは1/2である」ということになるのです。ほら、コイン投げと同じ方法で、株価の動きが予測できました

先ほどの計算は、『ブラック・ショールズモデル』と呼ばれる理論に従って得た結果です。これは、オプション価格を評価するモデルとして、ブラック先生とショールズ先生によって1973年に発表され、高い評価を受けたものです

オプション取引においてオプションの権利についてつけられる価格で……

あ、そうですね、いや、気にしないで大丈夫です。とりあえず、ざっくりと株価ということで話を進めましょう。つまり、このような経済に関係する価格などを計算するモデルがいろいろあるんです

えーーと……。ちょっと複雑になってきたので、ここからはコハツ先生にバトンタッチをお願いできれば…… わかりました。では、ここからは私が説明します。難しくならないように、単純化してお話しますね。

たとえば、先ほどのブラック・ショールズモデルでは、金利を「固定」としています。それを「変動」とすれば、当然計算結果が違ってきます。それも別のモデルです。
また、日本では2016年からマイナス金利政策を導入しました。金利を「変動」とする場合でも、マイナス金利を取り入れた計算をするためには新たなモデルが必要になるわけです。

このように、現実世界のどんな要素を取り入れるかで、異なるモデルができ、それぞれ別の計算結果を導きます。そして、それらのどの結果が現実とよく合うかを検証することで、モデルの信頼性がわかってきます。畑くんの例では、4回の計算しかしませんでしたが、実際には何十万回と計算を行って、リスクの大きさなどを求めます

いや、そうではありません。1つで完璧なモデルはなく、それぞれに特徴があるので、予測には複数のモデルを用います。つまり、各モデルで計算して得た結果に、モデルの信頼性によって重みをつけて合成するのです。 たとえば、A、Bという2つのモデルがあって、信頼度が2:1であるとします。モデルAではリスクは30%、モデルBでは10%と計算されたとするとします。その場合、(30×2+10×1)/(2+1)=23.3%となります。実際にはもっと複雑ですが、実はみなさんがよく見る天気予報も、これと同じような方法で確率を得ているんですよ

そうなんです。天気も、株価と同様に、いろんな要素によって変化します。どうやって台風が成長するか、地形と風、雨はどう関係しているか、それぞれに気象学の理論があります。それを数学で表現してモデル化する。そこに初期条件、たとえば、風速、風向、気温、雲量、雨量などを入力すると、翌日の各値を計算してくれます。ただし、気象のモデルもやはり、どの要素を重視してどの要素は省略するか、そしてどのような計算方法を用いるかでいくつものモデル化の方法があり、各々結果が変わってきます 50のモデルがあって、それぞれで翌日の天気を計算したとしますよね。その時、滋賀県は雨になると予測したモデルが10個あったら、単純に言えば、雨が降る確率は10/50=20%ということになります。実際には先ほどお話ししたように、モデルごとの信頼度が違うため、重みをつけるなどの操作をして、確率が得られます

重要なところに気が付きましたね。未来のことは、確率的にしか予測ができないことで満ちています。サイコロの出る目は振るたびに異なり、『次は3が出る』と予測できないのと同じです。未来を予測しようとすると、どうしても確率的な考え方が必要になります

そう。でも、確率論は予測のためだけではなくて、ほかの分野でも使われる理論なんですよ。例えば、脳の働きや氷河期の説明をするためにも、確率論が不可欠です。……このあたりは、また次の機会にお話ししましょうか

その通り。たくさんの人が長年研究を積み重ね、様々なモデルをあみ出し、これまでは不可能だった計算を可能にしてきました。それが、現在のように様々な現象の予測に応用できるようになったということですね

そうですね。予測でお金儲けはちょっと……。でも、数学を活かせる仕事ならたくさんありますよ! ぼくは、アクチュアリーという、ビジネスにおけるリスクを分析する専門職を目指しているんですが、経済の分野で活躍している先輩はたくさんいます。数学は難しい、と思うかもしれないけど、立命館大学の理工学研究科は、面倒見のいい先生ばかりだし、ちゃんと学べば、しっかり理解できるようになります。実際に式を動かして、深いところを理解できると、数学はとても楽しいですよ 立命館大学 理工学部 立命館大学研究活動報 RADIANT

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